もふもふTAKURAMIブルワリー

84世代、新卒で10年勤めた会社を退職し、発酵醸造の道を歩み出した“ふぁーびー”のブログです。発酵はもちろん、生き方・キャリア・子育て・NPO…様々なテーマについて気ままに綴っていくブログです。

“将来の夢“、世界への魅力アンテナを張り巡らせること。

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少なくとも自分の子どもに伝えたいこと、を考えさせられました。

http://s.news.mynavi.jp/news/2016/01/07/026/
まぁ他に書くことがなかったんでしょうかね。
ロールモデルの不在。

会社員ってなんでしょうね。
いや、よくプロフィール欄とか、ポイントカード作るときとか、病院に診察に行くときとか、公的な書類もそう。
例えば妻は“保育士”とか“福祉施設職員”とかあるわけです。
私は“会社員”で終わります。
一応金融系ですけど、それを書く機会はありませんし、個人的にそれをアピールしたいとも思ってません。

仕事柄、顧客に申込人の属性(職業とか色々)を書いてもらうんですが、そこには一応業種とか職種とか書く、というか選択肢が用意されてるので、どこかに○をつけるわけです。
よく考えたらそのどこかに○をつけられる人をメインに仕事してる所なんだなってふと思いました。

もちろん“その他”っていう選択肢もありますし、“自営業”もあったかな?そこが使われることはほとんどないだろうな、という所と、個人的にはそこに無限の可能性もあるな、とも思ったり。

ここで、冒頭の記事に戻るのですが、みなさんにとっての職業、仕事のイメージ、正確にはいくつ思い浮かべられますか?私が大学生だったときは“民間企業(会社員)”、“公務員“、”教員(学校の先生)”でした。教育関係のゼミだったので。

余談ですが、当時はそもそも周りには教職過程を取っている人ばかり、分かりやすく言えば先生になりたい人ばかりだったのかなと思います。

私は一体何になりたかったんだろう。
もともと高校時代から英語が好きで、将来は国連の職員だ!NGOのスタッフとして活躍するんだ!とか思ってそういう学部に進んだんですが、途中で国内の目の前の子どもたちと関わる機会が増えたり、福祉という領域に興味が向いたり、NPOとかボランティアとか、社会を支える市民、要は企業や行政以外の原理を知ったり。で、結局選びきれず卒論は教育をテーマにしたと。

でも今から思えばそんなに思い入れがあったかどうかは微妙ですね。実際、福祉学科に転学しようとしてタイミング逃してたり。(確か2回生の終わりまでに申し込まないとだめだったかな)

ただ地域で活躍する子ども支援のNPOに入り込んでたので、子どもの発達とか教育に関心がなかったわけじゃないですけどね。で、結局“こうありたい自分”が見つからないまま、『NPOって資金繰り大変だな』とか『世の中のお金の流れを変えなきゃ』とか…そんな意気込み、というかいわゆる就職活動といわれる時期にも時間が無さ過ぎて、そういう意気込みにしてしまって、動ける範囲でもぎ取ったのが、今のポジションでした。

何か脱線してますが、何が言いたいかというと、学生時代に、将来なりたい自分、就きたい仕事、それを見出すのってなかなかできなかったな、ということです。

もっと小さい頃なら、なおさら。
何にも考えてなかったわけじゃないですけど。ゲーム(PS)好きだったんで、当時のスクウェアプログラマーになりたいとか中学の七夕行事の時に書きましたね。
あとはその時のイメージって“将来”を意識していたわけじゃなかったですから、自分の父親の仕事か(それすら分かってなかった)、学校の先生か、プログラマーか。プログラマーも何やってるかなんて調べもしなかったですけど。あと小学生のときはJリーガー。

会社員、ってなんだろう。
とりあえず、これから先の時代、というか今もですが、みんな生きていくために、何かしらの仕事をしていかなければならない、その方法って実は百万通り以上あるよね、って子どもに伝えたいですし、こうしなきゃならないとかもないし、まぁもしやりたいことがあるなら、いやなくても、全力で応援するからね、って。

もっと言えば、世の中は今も、そしてこれから今以上に変化が激しくなっていく中で、それもあるけど、別の次元で考えたときに、『こんな面白いことやってる大人がいっぱいいるんだぜ!』ってことで会わせたいし、色んな世界を見せたい。何より、パパが『人生楽しんでる!』って感じの背中を見せたい。これだけ情報があふれまくってる世の中、でも実は閉ざされた世界、子どもにはアンテナを限りなく広げていって、ほしい。

以上です!
それでは!