もふもふTAKURAMIブルワリー

84世代、新卒で10年勤めた会社を退職し、発酵醸造の道を歩み出した“ふぁーびー”のブログです。発酵はもちろん、生き方・キャリア・子育て・NPO…様々なテーマについて気ままに綴っていくブログです。

2016年以降の世界 その①

2016年以降の世界シリーズが始まりました。早速、その①である第2子の出産・育児について。

 

うーん…書き出そうとするのですが、1年経つと当時の緊迫感はやはり鮮明には難しい(笑)でも頑張って書きますね!


まず、当初3月31日に生まれる予定だったのが4月2日まで延びて、予定が色々と変わっていきましたし、仕事に行っても常にドキドキ…とほとんど落ち着かなかったのを覚えています。

 

ただ、幸いほぼ陣痛が始まってから出産まで、最後まで立ち会えたのはよかったです。1人目もしっかりと立ち会えていたので、そこだけは意識して仕事の調整含め頑張っていましたね。

 

ちなみに1人目の状況と大きく変わる点が1つ。それは“助産”での出産だったこと。
たまたま私の母校の高校のすぐ近くということもあり、運命的なものも感じましたね。

 


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桜並木のとても華やかな場所、まさに春満開

 

やはり病院とは違いマンツーマンで助産師さんの手厚いサポートが受けられたのは実際心強かったでしょうし、まさに主役の母親にとっては“自分の出産について事前にデザイン(計画)する”「バース(Birth)プラン」を考えるのが特徴的だったのではないでしょうか。


そして、中でも特に印象的だったのは、長女(当時3歳)も立ち会ったことです。当初、出産時の非常に緊迫した状況の中、娘をその場に居させることについては話し合っていまして、本人の意思に任せようということになっていました。流石に終盤はかなり大変なので少し部屋の外にいた時間もありましたが、それでもほぼずっと家族全員であの大イベントを乗り越えることができました。

 

さらに、長女が助産師さんばりの活躍をしたということは忘れられません。あれは助産師さんも『将来は助産師になれるわね』と太鼓判でした。


『ママ、もうちょっとで赤ちゃん出てくるしな!』
『ママ痛い?大丈夫?』


とずっと妻の横にいて励ましてくれました。
今思い返してもすごいなぁ。
父親というか夫というか、大人である私よりも心強く、たくましい、そんな印象を思い出します。

助産院」での産前産後については、妻にも当時のレポートを書いてもらえたらな、と思います。

 

今はもう、もちろんだいぶ取り戻しましたが、出産直後は抱っこしたり、おむつを替えたり、夜中3時間おきの試練に立ち向かっていたり…という一連の流れについて意外と3年前の長女の時にできていたことが『あれ?こんな感じでいいんだっけ?』と思い出せずに戸惑っていたのですが、時が経つのは早いものです。

 

さて、ここまで朧気(おぼろげ)ながら書いてみると、意外と思い出せましたね。
そうそう、当時は“発酵”にもかなりハマりだしていたこともあって、甘酒を造って妻に飲んでもらうんだ!と息巻いていました。


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助産院にもこんな張り紙

 

ただ、そのことも含め、まさかあんなことになるとは…

というわけで次回の展開をお楽しみください。
今回は以上です。